2012年4月15日日曜日

Kevin Foxと"The people you meet in heaven"

さて。

先日。
朝から、お味噌汁にそうめんを入れようと、そうめんとスパゲッティー2種を入れている容器をとり出していたら、掴んだ蓋の部分がパカっと外れて、左手は容器をキャッチ、、したものの、2種類のパスタがざらざらざら〜〜〜〜!!!!っと飛び出し、それを、なぜか足で受け止めようとして、勢い良く足を出したら、小指をぶつけてイタイ目にあった誕生日の朝。

1歳、年を重ねても、反射神経だけは17歳くらいですっっっ!!!←無理がある。


色々と混じって床にちらばったパスタたちは、5秒ルールに従い(落ちて5秒以内だったらまだOK)、そして熱湯消毒される、、ということもあり、その日の晩ご飯になりました。ぷっ。


と、いうわけで、おたんじょう日は雨がじゃんじゃんと降り、外にも出たくなく、夫は仕事が遅くまであって、いつもと変わらず普通に終っていったのであります。

変わったのは、私の年だけ。
きゃあああ。

こんな大人でいいのでしょうか、、、、、。いいのですっっ。




と、いうわけで、夫からのプレゼントはここ数年、Kevin Foxのライブだった。

誰ですか、それ?ですね。
オリンピックの時のイベント、Atlantic Canada Houseで、あの辺り(ノバスコシア、PEI、ニューブランズウィックとかの東カナダ)出身のアーティストによるコンサートで出会ったKevin Fox

そこに一緒にいた女友達、みんなで

”うわ〜!!!!鳥肌たったね!!!”

というほど、彼の歌とチェロは素晴らしいの!!
(よかったら、聞いてくださいませ)





以来、バーナビーのShadbolt Centreで、去年、おととしの4月は、ライブがあっていたのです。




でも、今年は、おそらく彼の家族にニューメンバーが加わったばかりだからか、ウェスタンカナダ一帯のライブが、この春はないので、そのプレゼントは無し。

でも!!
先日、とても久しぶりに雑誌"Victoria"を買って美しい物やお庭の写真を見て、ウヒャウヒャ言っていたからか、夫がプレゼントに定期購読をしてくれました。うれしーうれしー!






それから、大きな花束を仕事の帰りに、もうお花屋さんも開いていない時間だったので、スーパーで売っている中でも、とびっきりのセンスが悪いのを、買ってきてくれました。←ごめん、でもとても彼らしい!


それを選ぶ夫も夫なんだけど(か、もうそれしかなかったか。いや、わざと選んだな、ありゃ)、まあ、どんなお花だったか、って言うと、


この花束を作った人が、


これ作ってるとき、



ドラッグかなんかやってて












って感じの花束です。わかる?↑ホント、こんないろどりの花よ!!

もう、タイダイ(Thai dye)のTシャツ着て、ピースした感じ。



ま、夫には”ちょっと、センス悪っ!”とはもちろん言いませんけど、お花を色別にバラして花瓶に挿しているので、きっと薄々は感じているかも。



そして、週末は何かしてくれるそうです。楽しみー。



さて。
"Tuesday with Morrie"(邦題/モリー先生との火曜日) /Mitch Albomが書いた、"The Five People You Meet in Heaven"(邦題/天国の五人)を読みました。

正直、、、 "Tuesday with Morrie"ほど、生きているうちに何度も開いて読みたいし、読んで、大事なことを思いださなければ、、、と思うほどの衝撃的感動はありませんでしたが、それでも素晴らしい本です。

<ネタバレ有りです。>
海辺の遊園地"Ruby Pier"で、メンテナンス係として働くエディ。
戦争での体験、父親との確執、その父親と同じ職業。その仕事しかできないと思う微かな不満、、、。
そういうものを胸に抱えたエディの、最期の日、最期の瞬間の1時間前から話は始まる。

天に召されたエディは、そこで5人の人たちに会います。
知っている人もいれば、全く知らない人も。

そこで、5つのレッスン、生きている時にはわからずにいたこと、人生の課題が何だったのかを、その5人がエディの人生を共に振り返りながら、教えてくれる。

人生の意味、その人生で起こったことがどんな風に連鎖し、人に影響しているか。自分の主観からでなく、違った角度から物事を観たとき、そこに何があったのか、、。そして、人はただ生きているのではなく、そこに何か役割を持って生きている、、と。

"No life is a waste, the only time we waste is the time we spend thinking we are alone."

ー 人生に無駄なものはない。
ただひとつ、無駄な時間があるとすれば、自分がひとりぼっちだ、、と考えるときだ。


そして、人生には、犠牲はつきもので、犠牲無しには生きていけないことを教えられる。

大きな犠牲、小さな犠牲。

その犠牲に対して”自分は失った”と思い、いつまでも怒りをためていてはいけない、、と。なぜなら、他の人も自分のために犠牲をはらっているから。犠牲とは、”後悔”する物ではなく、”切望”するものだ、、と。

それから、怒りに丸め込まれるな、、、人のせいにばかりしてはいけない、、と。自分にはいつも選択肢がある。それを選んだのは自分で、そこから抜け出したければ、抜け出す選択は必ずある。それを見極め、選ぶか選ばないかは、自分次第。

怒りを内にためておくと、それは中から人を蝕んでいく。
だから、許すのだ、、と。

愛。愛は永遠で死なない。
見える物だけが愛ではない、、、と。

そして、全てはひとつのサークル(輪)であり、どれも欠くことができないものだから、だから、、あなたはひとりぼっちで生きているのではないのだよ、、と。




なんとなーく、今の自分が好きでない人、今の状況が好きでない人、今のお仕事が好きでない人、親と確執がある人、自分の存在する意味に疑問がある人、理不尽、不公平を感じる人、、そんな人に、希望の一筋とか、選択肢が自分にはあること、ひとりだけで生きているわけではないこと、その意義を見える(考える)ようにさせてくれる本なので はないでしょうか。


理解した時、癒され、愛を感じる。


理解すること、理解しようと努力すること、理解してもらうために努力すること、、、、

少しの努力と時間を持つこと、、、、主観だけでなく違った角度で物事を見てみようとしたり、考えてみる、想像してみる時間を持つことで、解決することや、解決できなくとも、改善の糸口を見つけられること、人や物ごとを許すこと=それはまわり廻って自分の気持ちが落ち着くこと、穏やかでいられること、人のためであり、自分のためであるように思えます。



おわり。



2 件のコメント:

Ritz Yoga さんのコメント...

ヨガを始めたり、引き寄せの本を読んだりし始めてから、人って本当につながっているし、自分がすることが人に影響を与えたり、人って何かしらの形でつながっているって本当に体感します。

実際に自分がこの世に存在しているのは、両親そして祖先のおかげですしね。

昔の自分もそうでしたが、人って独りよがりな気分になってしまうときってありますよね。でも、実際にそうでは本当にないし、周りは愛であふれているんだし。最近は落ち込んでもそれを思い出すように心がけています。

あとこの前、ゆかさんから言われた、「りっちゃんも愛されているんだから」って言葉が今も胸に響き続けています!かなり救われてますよ、その言葉に。

愛は永遠ですね~。愛の力はすごいです!

Yuka さんのコメント...

りっちゃん。
この本、すてきよ。よかったらいつか読んでみて。でも、Tuesday with Morrieの方がもっといいかも。

独りよがりな気分になる時、、って、あってもいいと思うの。思いっきりその気分に浸った後は、でも、必ずそうじゃないことを思いだせたら、いいんじゃないかなあ〜って。

そうよ!愛されていることを忘れずに!!ふふふ。
見えないし、それぞれ与えたり与えられる愛の形は、違うかもしれないけど、でも、まちがいなくそこに存在してるんだと思うよ〜。